最初は2-3年の腰かけのつもりだった
私は栄養士養成学校を、2年間で卒業したので、国家資格である「管理栄養士」受験資格を得るために、「2年間」の実務経験が必要でした。
元々、体育学科卒でバレーボール選手だったこともあり、「スポーツ栄養士」になりたくて管理栄養士を志したので、栄養の勉強をするには最高の環境である『病院』で学びながら、2年間の実務経験を経て転職か独立をしようかなと考えていました。
そこで病院への就職を目指して、採用試験で6名の応募者なかから選ばれ、無事に入職しました。
そのまま新卒で入職した病院で22年間も働くことになったのですが、今の私があるのは、そこで得た経験や出会いであることは間違いなく、素晴らしいご縁に恵まれた奇跡に感謝しています。
2-3年で辞めるつもりだった私が恵まれた、3つの出会いとは。
NST(栄養サポートチーム)との出会い
病院栄養士のイメージってどんなのでしょう?厨房にこもって、献立立てて、栄養計算している人。そんな感じじゃないでしょうか?
入職当初はそうでした。仕事自体は楽しかったけど、内容はつまらなかったー(笑)
そんな私を救ったのが、この医療です。
NSTとは、栄養サポートチーム(Nutrition Support Team)のことで、アメリカでは1970年代から取り入れられているもの。
私たちは2004年に立ち上げました。日本でもまだ早い方でした。
それまでの医療は治療中心で、栄養状態のことは置き去りでした。でも栄養状態が良くないと治るものも治らない。医学部6年間のカリキュラムでも、栄養を学ぶのは2ページと言われています。
一緒に立ち上げて私たちをひっぱってくれた医者を中心に、日本で最初にNSTを立ち上げた東口髙志先生がいる病院へ見学・研修をさせていただき、当院に合った方法で作り上げていきました。
ちなみに東口先生はこの名書を書いた先生です。
私たちは、医師・看護師・薬剤師・リハビリ・検査技師たちと一緒に、1人ずつの患者さんの栄養状態を評価し、治療に役立てるために栄養状態を改善していくことに各専門職の力を注ぎました。
高齢者は低栄養状態の方が多かったですし、褥瘡(床ずれ)も多い。また外科でがんの手術も多かったので、術前術後の栄養介入に尽力しました。
「スキルアップの機会がたくさんあった」
医療の分野は常に進化し、新しい技術や知識が生まれています。私が長く病院で働けたのも、自分自身を常に成長させていることが、長期的なキャリアアップにつながりました。
「NST専門療法士」「がん病態専門栄養士」「糖尿病療養指導士」などの専門資格も取得しました。
チームプレイは大好きな分野。各専門職の力を合わせて、ディスカッションしながらすすめていくことは、大きなやりがいでした。
尊敬する人との出会い
多くの尊敬する人との出会いに恵まれました。
医師
特に入職して1-2年で「なんて素晴らしい医者がいる病院なのだ」と、感動し心がフツフツと熱くなっていったのを覚えています。
私がイメージしていた医師像(高い給料をもらって病気だけ診ている横柄な人←どこからもったイメージ?w)とはかけはなれた、「熱くてあたたかくて患者思い」の先生がたくさんいました。
特に、
患者さんと家族そしてスタッフへの愛情と信頼が強い緩和ケア医
幅広い視野としなやかなリーダーシップをもった循環器医
柔軟な思考とすぐに行動にうつす若きクレバーなNST医
など、私の医療観に大きな影響を与えた医師がいました。
他にも、専門性が高く患者思いの糖尿病医や、誰よりも優しく器用な消化器医など、魅力的な医師ばかりでした。
医師はやはり病院の根幹です。医師としてだけではなく、人としても尊敬できる人とともに、まっすぐな医療に携わることが出来ました。
看護師長
そして、看護師長軍団です。
特に入職してしばらくした、「総師長と副総師長」は日本一のコンビだと思っていました。とにかく明るくて優しくて行動的で強い。
職責者として未熟な私の相談にたくさん乗ってもらったし、何よりその背中をみて医療人としても人間としても育ったと思います。
今でも、病院の母のような存在です。
多くの仲間たち
病院は医師・看護師を含め、多くの専門家、多職種の集まりです。よいリーダーのもとには、よい専門家が集まるものです。
医療人として心が熱くあたたかい、仲間として尊敬・信頼できる職種がたくさんいました。
スタッフステーションでは、患者さんのことで真剣に議論を交わしたり、たわいもない話しで大笑いしたりし、病院内外で互いを切磋琢磨する素晴らしい環境でした。
大好きな仲間たちです。
緩和ケアとの出会い
緩和ケア病棟での医療が、私の管理栄養士としての医療観、人間としての死生観の根幹を確実に育みました。
私たちの緩和ケア病棟には、上記にも記した、多くの患者さんや家族、スタッフから尊敬を集める、素晴らしい緩和ケア医がいました。
毎月10人以上、年間150人ほどの人生が幕を閉じ、天へ旅立つ方たちがいる病棟です。余命を知り、多くの葛藤や不安、患者本人や家族たちの哀しみを、ブレることなくドーンと受け止める医師。
その医師とともに、看護師・リハビリ・ボランティアさんなどと力を合わせ、1人の患者さんが安心して悔いなく生ききるケアを、残されたご家族も悔いなく、楽しい思い出をたくさんもって、次へ生きる力を。
緩和ケア病棟は、「死」と向き合うことが多いですが、それが「生きる」彩りをより鮮やかにするものだと感じています。
そして緩和ケアとの出会いが、「臨床傾聴士」への学びへと導き、グリーフケアを通じて、悲しみや喪失のプロセスに関する深い理解を得て、患者や目の前にいる人の感情や経験に共感し、適切な言葉や態度をもった、心地の良いコミュニケーションスキルが自然と身につきました。
バレーボール少女で体育会系な世界しか知らなかった私が、人の痛みや生きる喜びを魂で感じ、医療観や死生観を育めたことは、人生における大きな財産となっています。
病院での経験を活かしてホリスティックなケアをする
22年間で得たものは私の人生の一部であり、大きな強みです。
まずなにより、人の心と身体は栄養・食事で出来ている。間違いありません。臨床・分子栄養学・ナチュロパスと、栄養学に関して多くの学びをし、専門性を高め、自分自身も実践し続けています。
そして、栄養だけではなく、メンタルも整った方がよいでしょう。医療現場、特に緩和ケア病棟では、多くの哀しみに触れ、自分が揺らぐことがあるため、まずはセルフケアが非常に重要です。自分自身の心が健康であることが、目の前の人に対して最良のケアを提供するために必要な条件です。
私の今後ですが…、
「一人ひとりに合う栄養」を、傾聴し肯定しながらサポートします。
また、メンタルトレーニングを取り入れ、セルフケアと他者のケアをし続けてきたことを活かしたメンタルコーチングを行います。
その他、機能解剖学に基づいた内臓ケアや、身体のコアをしなやかに鍛えるトレーニングを併せて、ホリスティックにパフォーマンスを高めるコーチとして、必要な方に届けたいと思っています
!私の宝物のような22年間の経験を活かして、人との出会いを大切にしながら、多くの人の力になっていきたいと思います。