心に蓋をしていませんか?
「もっと辛い人がいるのに」
「これくらいのことで」
そうやって、自分の悲しみに、蓋をしていませんか?悲しむことに、資格や権利は必要ありません。
それなのにいつのまにか、
「この悲しみは認めていい」
「これは大したことない」
と、自分で自分の悲しみを、採点するようになってしまいます。
「公認されない悲嘆」という言葉

「公認されない悲嘆」とは、
社会的に認識されていない喪失のことをさします。
(Omega (Westport) 2024 Jun; 89(2): 530-549.)
例えば、こんな喪失があたります。
・ペットとの死別
・恋愛、婚姻関係にはないパートナーとの別れや死別
・LGBTQのパートナーとの別れや死別
・死産・流産
本人にとっては、「家族」を失った痛みでも、社会からは、「ペット」「他人」と扱われてしまう。
正式に認められない喪失だからこそ、悲しみを表に出すことさえ難しくなります。
自死による死別も同様です。人に打ち明けにくいからこそ、悲しみを抱えたまま、誰にも頼れない状況に追い込まれやすい。
自分の悲しみを認めるための「最初の一歩」
どんな悲しみも、種類に分けたりラベルを貼ったりせずに、そのまま受け取ることが大切です。
「大人だから」「親だから」「時間が経っているから」
そういう”わきまえ”を一旦横に置いてみてください。
まずは、「私はいま悲しいんだ」「悲しみに蓋をしようとしたな」と気づくことからスタートです。
言葉にならない時は、「胸がぎゅっとする」「ため息がでる」「呼吸が浅い」といった、身体からの小さなサインを、大切な感情のカケラとして受け取ってみてください。
あなたの悲しみには、価値がある

悲しみとは、「愛の形」が変わったものなのかもしれません。
大切にしてきたから、悲しい。その痛みは、愛の証です。

社会や他者からなんと言おうと、あなたが感じた悲しみ、揺れ動いた心。それこそが事実です。
なかったことにしなくていい。あなたが愛し、大切にしてきたものを失った悲しみを、どうか大切にしてください。
そして、一人で抱えないで。
同じ悲しみを抱える人たちと、言葉にする場があります。


