
大切な人、大事なもの、自分の一部のような存在。それらを失った時に、ぽっかりと穴が空いたような気持ちになる。それが「グリーフ(悲嘆)」です。
悲しみ方は人それぞれ。正解も間違いもありません。
そして、誰にもいえない、わかってもらえない。そんな「孤独な悲しみ」が、今の時代には溢れています。
悲しみをわかちあう場が失われた現代だからこそ、自分の痛みの名前を知り、その重みを誰かと分かち合うこと。独りで抱え込まない勇気が、また歩き出すための力になります。
悲しみの正体は「愛情」のあったものとの別れ
喪失による悲嘆(グリーフ)、と聞くと、『大切な人との死』を思い浮かべる人も多いかもしれません。人生最大の悲嘆であることは間違いありません。
ただ。「死」だけがグリーフではないのです。
自分自身が大切にしていたもの、愛情をもっていた存在を失った時や、結びつきが途切れた時。
喪失による悲嘆、グリーフは、日常に目に見えなくても潜んでいるのです。
「目に見えない喪失」それは誰にでも起こりうること


「人」との別れ
大切な方の死は、人生で最も深い悲しみや痛みを伴います。
家族や友人、パートナーなど、愛情や絆で結ばれた人々との別れは、心に大きな穴が開いたように感じ
喪失感や孤独感が押し寄せることがあります。
「自分自身」の変化
気がや病気で思うように身体が動かなくなったり、かつての若さや自信を失うことも大きな喪失です。
アイデンティティの喪失、自分そのものを失ったような感覚。それもまたグリーフです。
「役割や居場所」の喪失
退職、子どもの自立、長年追いかけてきた夢を諦めたとき。自分自身の「支え」だった役割が変わることもグリーフの原因になります。
また、親の介護は、「元気で頼りにしていた親」の喪失でもあり、大きな悲嘆と感じる方も多いでしょう。
悲しみは、「種類」によって理解されにくいことがあります。悲しみが否定されると、その人の根幹を傷つけることになる。だから、どんな種類の悲しみも尊重することが大切なのです。
他者の悲しみはもちろんのこと、自分の悲しみも軽く扱わずに、大切にそっと扱ってあげませんか?
なぜ今、悲しみを「共有」することが難しいのか
かつては、向こう三軒両隣のつきあいがあった地域社会や、3世代4世代が同居する大家族が多かった。
喪失の悲しみは自然とわかちあうことができました。「ケア」が日常にありました。
身近な親兄弟には話せなくても、おばあちゃんや近所のおばさんには話せた。
しかし、現代社会ではそれが難しくなっています。ケアを意識することが必要な時代となっています。
また、「死」を医療に管理され、死が日常ではなくなった現代社会では、死のタブー化や死生観の希薄化も重なり、「悲しみ」を語り合えない社会になってきています。
そのこと自体が、生きづらさの正体なのかもしれません。
悲しみを抱えたまま、しなやかに歩き出すために


自分の痛みの名前を知る、というのは、暗闇の中にある正体不明の重荷を、「自分が持ち運べる形」に整えることでもあります。
現代の日本社会は、「自分の痛み」を表現する機会があまりありません。ただ、表現する「言葉」がないものは、意識されることすら難しいのです。それはケアの必要性を求められることも少なくなるのです。
自分の痛みを、自分自身が「ある」と捉える。それが何かを知る。それだけでもいいのです。


まずはその悲しみを言葉にしてみませんか


その悲しみを隠さないで。誰もが自分の痛みを共に生きていける社会へ。
その小さな、確かな一歩をここから始めたい。
あなたの悲しみを言葉にしてみましょう。
独りで抱え込む重荷を、少しだけ降ろしてみませんか。









