グリーフケアとしての震災支援
先日、能登・七尾市で
グリーフケアの活動に参加しました。
震災から、すでに2年以上が経っています。
ニュースで取り上げられる機会は少なくなっていますよね。
けれど現地で感じたのは、
まだ終わっていない現実のように感じました。
支援があるのに、届かない
災害後、支援の情報や物資は確かに存在しています。
制度も整えられています。
それでも現地では、
「支援があるのに、つながれない」という声があります。
制度はあっても、
そこにアクセスできない人がいる。
声を上げることが難しい人、
状況的に取り残されてしまう人。
支援の“量”ではなく、
“届き方”に課題がある現実を感じました。
生活にフィットしない支援
さらに見えてきたのは、
「支援があっても、生活に合わない」というズレです。
たとえば、
子どもに必要なものが手に入らない。
食事があっても、年齢や状態に合わず食べられない。
調理や保存が制限され、簡単な食事すら整えられない。
一つひとつは小さなことのように見えます。
けれどそれが積み重なると、
日常は確実に崩れていきます。
「ある」と「使える」は違う。
「届く」と「満たされる」も違う。
そのズレが、生活のしんどさを生み出しているように感じました。
食べられなくなるという変化
こうした環境の中で、
子どもに変化が現れることがあります。
不安や緊張の中で、
食欲が落ち、食べることが難しくなる。
体重が減っていく。
これは単なる栄養の問題ではありません。
「食べられない」という状態は、
安心できる土台が崩れているサインでもあります。
人は、安心の中でこそ
食べる力を発揮できるからです。
こころの揺れは、身体にあらわれる
さらに、こころの影響は
身体の変化として現れることがあります。
言葉にならない不安やストレスが、
行動や体調の変化として表れる。
それは異常ではなく、
とても自然な反応です。
けれどそのサインは見えにくく、
周囲に気づかれにくいこともあります。
見えにくい孤立
災害のあとには、多くの支援が動きます。
一方で、
・制度にうまくつながれない人
・声を上げられない人
・支援の網からこぼれてしまう人
そうした存在は、表には見えにくいまま残ります。
そしてその多くが、
孤立した状態で日々を過ごしています。
災害は、まだ終わっていない
震災から時間が経っても、
生活はすぐには戻りません。
住まいの問題、環境の制約、
先の見えない状況。
「時間が経てば落ち着く」
そう単純ではない現実があります。
復興とは、建物が整うことだけではなく、
人の暮らしやこころが安心できる状態に戻ること。
そのプロセスには
想像以上の時間がかかるのだと思います。
最後に

能登で出会った現実は、
決して特別なものではないのかもしれません。
ただ、見えにくいだけで
確かにそこに存在しています。
災害のあとに残る
「見えない孤立」
その存在に目を向けること。
そして、
その人の生活に本当に合った支援とは何かを考え続けること。
それが、これからの社会にとって
必要な視点なのだと感じました。
仮設住宅で見えた
もう一つの現実については、
次の記事でお伝えします。

