
前回は、介護という日常の中に「グリーフ(悲嘆)」が静かに積み重なること、そしてそれに気づき、認めることの大切さをお伝えしました。
今回は、その先 ーー 感情とどう向き合っていくか、についてお話しします。
簡単に自己紹介
私自身は、親の介護を直接担っている当事者ではありません。管理栄養士として20年以上、病院や地域でご家族の姿を見てきた中で、支える側の心が「見えない悲しみ(グリーフ)」で擦り切れていくことを、幾度となく目にしてきました。その「言葉にならない想い」に寄り添いたい —— そんな願いから、この記事を書いています。

前回の記事

感情は、「解決」するものではない
多くの人が直面するであろう、親の介護。それは、親への愛情や感謝があるないに関わらず、突然また徐々に訪れます。
悲しみや怒り、罪悪感。そういった感情が湧いてきたとき、私たちはつい「早く乗り越えなければ」「前向きにならなければ」と思いがちです。
でも、グリーフの感情は、「解決」するものではありません。問題解決ではないのです。
むしろ、解決しようとすればするほど、感情は出口を失って、心の奥に押し込まれていく。それがやがて、疲弊や虚無感として表れてくることがあります。
感情との向き合い方で大切なのは、「処理する」ことではなく、その感情と「共にいる」ことなのです。
グリーフには、波がある

「悲しみの段階」という考え方を聞いたことがある方もいるかもしれません。
グリーフの研究では、否定・怒り・取引・抑うつ・受容といった段階が語られることがあります。ただ、実際のグリーフや感情は、その通りに順番に進むものではありません。むしろ、いったりきたりする波のようなものです。
介護のグリーフが難しいのは、「終わり」が見えないまま続くことです。死別のグリーフと違い、喪失が少しずつ、繰り返し訪れる。介護が終わって欲しい、終わって欲しいわけがない。その罪悪感と願いのはざまで、強く揺さぶられる自分自身の心を、どうか壊れないように大切にして扱って欲しいのです。
穏やかに過ごせる日があったかと思えば、ふとした瞬間に胸が締め付けられる。笑顔で親と接することができる日、イライラして仕方がない日。「もう大丈夫」と思っていた感情が、親の小さな変化をきっかけに、また押し寄せてくる。
それは後退でも、弱さでも、ありません。グリーフの波は、大切なものへの、愛情の深さのあらわれでもあるのです。
「感情と共にいる」とは、どういうことか
感情と共にいる、というのは、何か特別なことをするわけではありません。
湧いてきた悲しみや怒りを、「こんな気持ちを持ってはいけない」と押しのけるのではなく、「ああ、今日はこんな気持ちが来ているんだな」と、ただ気づいてあげること。
感情に名前をつけてあげるだけでも、少し違います。
「悲しい」「疲れた」「悔しい」「寂しい」—— 言葉にすることで、感情は少しだけ、輪郭を持ちます。輪郭が持てると、飲み込まれにくくなる。
日記やノートなど紙に書いてみることも、ひとつの方法です。誰かに見せるためではなく、自分の感情を「外に出す」ための場所として。
ひとりで抱えなくていい

それでも、感情の波が大きすぎるとき、ひとりで向き合い続けることがつらくなることもあります。
そんなときは、誰かに話してみてください。
家族でも、友人でも。あるいは、グリーフやケアラー支援の専門家に話すことも、一つの選択肢です。「弱いから相談する」のではなく、「自分を大切にするために話す」のだと、思っていただけたらと思います。
介護は、長い道のりです。感情の波も、何度も訪れます。でもその波は、あなたが大切なものと向き合い続けている証です。
その道のりを歩き続けるために、自分自身の感情を、置き去りにしないでほしい。感情は、あなたの敵ではありません。それはただ、あなたの中に生まれた —— 正直なこころの声なのです。
最後までお読み頂き、ありがとうございました


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