仮設住宅でのわかちあい
余儀なく仮設住宅で過ごされている方々は、
長くその土地で暮らしてこられた高齢の方々が多かったです。
お話を聴いていて感じたのは、
「悲しみは一つではない」ということでした。

失われたのは、家だけではない
地震によって、住まいは大きな被害を受け、
やがて解体され、更地になっていく。
長年暮らしてきた場所。
積み重ねてきた日常。
大切にしてきた思い出の品々。
それらが、形としてはすべて失われてしまう。
けれど失われたのは、
「家」という建物だけではありません。
そこにあった時間や記憶、
人生そのものの一部ですよね。
悲しみは、過去とつながっている
お話を聴いていると、
震災のことだけではなく、
幼い頃のつらかった体験や、
これまでの人生の中で抱えてきた出来事を、
ぽつりぽつりと語ってくださいました。
今起きている出来事と、
これまでの人生が、静かにつながっていく。
悲しみは、その瞬間だけのものではなく、
時間を越えて重なっていくものだと感じました。
複合的グリーフ。
それでも、人は生きている
そんな中で、
とても印象に残る言葉がありました。
「慣れた土地に住んでいるから、
一人でも寂しいとは思わない。」
その言葉には、
長い時間をその場所で生きてきた人の強さと、
その土地との深いつながりがにじんでいました。
失われたものがあっても、
残っているものも確かにある。
その両方を抱えながら、
人は日々を生きているのだと感じました。
悲しみは、なくすものではない
悲しみは、なくすものではありません。
消そうとして消えるものでも、
時間が経てば自然に消えるものでもない。
大切なのは、
どう付き合っていくかです。
そしてそのためには、
安心して語れる関係が必要だとあらためて感じました。
「ともにいる」という関わり

わかちあいの場で感じたのは、
何かをするということ以上に、
ただ、そこにいること。
ともに時間を過ごすこと。
その関わりの中で、
少しずつ言葉が生まれていくということでした。
最後に
悲しみは、重なります。
そしてその重なりは、
外からはとても見えにくいものです。
けれど確かに、そこに存在しています。
だからこそ、
その人の語りに耳を傾けること。
そして、
その人の時間に寄り添うこと。
それが、グリーフケアの本質なのだと
あらためて感じました。
この2日間、
貴重な体験をさせていただきました。
出会わせていただいた時間そのものが、
私にとって大切な学びでした。

